無とは何か
無とは何でしょうか。
無は人にとって最も感じにくいものかもしれません。なぜなら、それ自体を感じることができないからです。人は「無いこと」を感じるために、「有るもの」と比較して「無いこと」を認識します。つまり、「有り」がなければ「無し」を感じることはできません。人は「有る」と感じるからこそ、「無し」を感じるのです。
完全な無の存在
しかし、比較する「有」というものが存在しない「完全な無」というものは存在するのでしょうか。完全な無とは、何も認識しない状態を指すのでしょうか。
人が何も認識しなくなるのは、深い眠りについているときです。深い眠りの中では夢を見ることもありません。それはまさに「全くの無の状態」といえるかもしれません。時間も存在せず、世界も存在しない——起きているときに感じるすべてのものを感じないのです。まるで死のような状態といえるのではないでしょうか。
深い眠りと意識の消失
人が深い眠りについているとき、自分自身の意識はどこにあるのでしょうか。そんなことを考えたことはないでしょうか。しかし、答えは「どこにも存在しない」のです。意識がないときの自分は、意識があるときの世界とは無縁です。なぜなら、意識があるときの世界は、意識があるからこそ感じられる世界だからです。意識がない状態では何も感じません。時間の長さも、空間の広さもありません。つまり、世界は同じであっても、意識があるときの世界とは全く違う世界です。それを「無の状態」と呼んで良いのではないでしょうか。
意識の有無と世界の捉え方
人は朝、体の作用によって意識が戻り始めるまで「無の状態」にあります。そして、意識が戻り始めたときから時間が流れ始め、空間を感じるようになります。同じ世界であっても、意識が有るか無いかによって、その世界の捉え方はまるで異なるものになります。
人は世界を画一的なものと見なしますが、実際には時間の有無、空間の有無などによって、世界はいかようにも解釈できるものかもしれません。人と他の生物は、世界を同じように捉えているでしょうか。もしかしたら、人間同士でさえ、世界の捉え方は異なるのかもしれません。たとえば、昔の人と今の人、赤ん坊と大人の世界の捉え方は違います。同じ世界であっても、捉え方によって全く違う世界になるのではないでしょうか。
生と死の繰り返し
昨晩の眠っていたときの自分と今の自分では、世界の捉え方がまるで違っており、今の自分では想像ができないほど異なるものです。もしかしたら、生と死ほどに世界の捉え方が違うのかもしれません。そう考えると、人は毎晩、生と死に似たような状態を繰り返しているといえるのではないでしょうか。
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